ホーム > 摂社・兼務社

摂社・兼務社

市神社(摂社)

御祭神 川村惣太郎 公
鎮座地 青森県三戸郡三戸町大字同心町字諏訪内43(三戸大神宮)[地図]
祭日 7月中旬
御神徳 商売繁盛
授与品 『市神社守護御札』

 三戸の商売の神様として古くから篤い信仰を集めている神社。三戸で毎月18日に行われる「市日」発祥の神社でもあり、今では三戸に住む商人の心の拠り所となっている。
 城下町として栄えた三戸は、かつては厳しい重税により困窮に見舞われていた。その渦中、惣太郎は毎日のように石に腰かけては町を救う策を思案し、遂に南部藩に単身直訴を決断した。この石は「思案の石」と呼ばれ、市神社の拝殿前に安置されている。
 盛岡にある「中の橋」に潜伏すること十数日、念願の藩主と対面し町の救済を訴えたが、すぐに投獄されてしまった。しかし、4年近くの月日を経てその想いが届き、税が軽減される結果となった。そして、町の経済安定を図る「市日」開設を実現した。

馬暦神社(兼務社)

御祭神 食保神(ウケモチノカミ)
鎮座地 青森県三戸郡三戸町大字川守田字下比良19[地図]
祭日 2月8日(春祭)
御神徳 農業守護、漁業守護、開運招福、災難厄除け、航海安全、家内安全など
授与品 『馬暦神社御札』『御朱印』※三戸大神宮社務所で承ります

 享保10年、徳川吉宗将軍は当時オランダから献上された「ペルシャ産の名馬」を南部藩に下付した。そこで南部藩はこの名馬を住谷野の牧に放牧し、種馬として改良を試みまが、わずか九歳で亡くなってしまった。その種馬は、三葉の松が植えられた墓に埋葬されたが、不思議なことに、その松の枝がみな西の方へと伸びていった。これをみた人々は「馬が母国を慕っているのだ」と言い、馬の神として崇めるようになった。
 寛保3年には、元野馬別当の石井玉葉が蒼前堂と碑を建立し、馬頭観世尊を祀った。これが当神社の起源である。この碑は「唐馬の碑」ともいわれ、外国馬に関する日本産馬史上、最も古い史料として、青森県重要文化財に指定されている。

法呂稲荷神社(兼務社)

御祭神 倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)
鎮座地 青森県三戸郡三戸町大字川守田中屋敷11-1[地図]
祭日 1月19日・3月11日(春祭)、8月19日(例祭)、12月19日(秋祭)
御神徳 五穀豊穣、商売繁盛、家内安全など
授与品

 当神社は、京都伏見稲荷大社の御分霊を勧請し「法呂稲荷大権現」として鎮座されたことが始まりとされている。慶応4年に神仏分離が行われ「権現号」が廃止されたことにより、「法呂稲荷神社」に改称された。現在では三戸町内の産土神として、地域に篤く崇拝されている。

月山神社(兼務社)

御祭神 月読命(ツクヨミノミコト)
鎮座地 青森県三戸郡三戸町大字泉山船場ノ上38[地図]
祭日 2月27日(春祭)、7月25日(例祭)
御神徳 五穀豊穣、農業守護、漁業守護、航海安全、家内安全
授与品 『御朱印』※三戸大神宮社務所で承ります

 三戸町泉山地区を鎮護する神社。正門には、出羽三山の「羽黒山・月山・湯殿山」と記された碑がある。
 第13代南部守行公が名久井岳に社殿を建立し、これを祈願所としたことが始まりとされている。古くから泉山の住人が崇敬していた神社であり、男児が数え年7歳になれば、当神社で身を清め山頂の社殿を目指す。この行事は「泉山の初参り」と呼ばれており、無形民俗文化財として指定されている。現在でも毎年7月25日(旧暦6月12日)に実施している。

三嶽神社(兼務社)

御祭神 広国押武金日命(ヒロクニオシタケカナヒノミコト)※安閑天皇
鎮座地 青森県三戸郡三戸町大字貝守林ノ後60[地図]
祭日 9月1日(例祭)
御神徳 武運長久など
授与品

 三戸町貝守地区にある林道を少し歩いた山奥に佇む、歴史の深い神社。創建は不明だが、一説によれば大同二年(802年)に坂上田村麻呂が創建し、天暦時代(950年)に蔵王権現(=安閑天皇)の御霊を勧請したと言い伝えられている。この神社の社家は代々山伏の行者が担い、昔使用したと思われる釣鐘や法螺貝が残っていたという。
 昔から、貝守の三嶽神社・豊川の三嶽神社・西越(新郷村)の三嶽神社と併せて、「三御嶽」と呼ばれ信仰されていた。

稲荷神社(兼務社)

御祭神 倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)、天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)
鎮座地 青森県三戸郡三戸町大字斗内田屋ノ下[地図]
祭日 4月5日(春祭)、9月9日(例祭)、11月25日(秋祭)
御神徳 五穀豊穣、商売繁盛
授与品

 明治時代の神社制度の改廃によって、祭神や神社名が変更された歴史があり、一時期「黒滝神社」と呼ばれたこともあった。
 社屋の中には、稲荷神社本殿が祀られている。元々、盛岡藩の給人を務めていた栗谷川氏の屋敷にあったもので、一説によれば屋敷の守り神として祀られたものではないかと言われている。本殿の保存状態は極めて良好で、江戸時代の貴重な資料として青森県の重要文化財に指定されている。

鎮座地マップ